26年前の朝のこと
2021/01/17
午前5時46分
突然の 強烈 な縦揺れで
一瞬にして目が覚めた
あの日 …

経験した事のない
激しすぎる縦揺れに
布団の上で四つん這いになり
恐怖のあまり、思わず
「 ウォオオー!!」
と絶叫した、当時24才の
ケイチーパパ …

マグニチュード 7.3
山の上の丘陵地に住んでいたため
ケイチーパパの実家には
断水・停電以外の被害はありませんでしたが
やがて日が昇り
神戸市街地方面の、東の方を見上げると
白々と明け行く空に
モクモクと、無数の黒煙が …

今でも鮮明に思い出す
26年前のあの日、あの朝のこと …
同じ時、同じ神戸で
同じ空気を吸い生活しながら
不運にも天に召された、6434名の
同郷の方々のご冥福を祈りながら
これからも神戸人として、この日を忘れず
平和に過ごせる日々に感謝しながら
生きて行きたいと思います

天災・人災の無い世界を望む平和主義者アニーに
応援のポチ



にほんブログ村
人気ブログランキング
スポンサード リンク
comment
弔問に来られる方々が、皆口々に
「大変な事が起きた」と仰っていました。
まだ、家族の悲しみから覚めていない私の家族に、
すぐにテレビを付けるように勧めました。
テレビに映った映像は、衝撃でした。
言葉を失いました。
涙が自然に流れました。
そして、祖母に流していた涙が震災の犠牲になられた方々に流す涙に変わりました。
あの日から26年。
地震はどこに起きてもおかしくないのだと思うようになりました。今、過ごしているこの時間を、思いっきり大切に過ごそうと心がけています。例え出会いが一期一会であったとしても。
パパさんママさん、いつまでも元気でいてくださいね。
ちょっと朝寝坊して、バタバタと出勤して、
お昼休みに通りかかったテレビに映っていた映像。
どこかで戦争が起こったのか、
大きな爆弾が落とされたのかと思いました。
びっくりして、テレビの近くにいる人に聞いたら、
関西で地震が起きた・・・。
関西人の友達が震度3でも
怖がっていたのを思い出して、
関西で地震なんて、起こるはずがないと思ってしまいました。
あちこちから黒煙があがっていて、
街が街の様子でなくなっていて、
信じられなかったです。
入ってくる映像や情報のすべてが恐ろしくて、
職場のみんなで、できることは何かと考えて、
それでも、街のみんなで募金活動することくらいしかできませんでした。
いのちを大切にして生きていこう
毎年、1,3,9月に強く思います。
この平成6年度は、最後の3月にはサリン事件があり、
職場異動が決定してからの3カ月間、
悲しいことばかりで落ち込んでいました。
26年たつのですね・・・。
私達も11時ごろにテレビがやっとついてみた画面が
阪神高速が折れて傾いて倒れてる映像でした。
神戸の街がこんなにも早く立ち直れたのは日本中の方々のおかげだと
思います。家々やビルが倒れた光景を自分の目で見た時は
もう戦争が起きた後のような気がしました。もう何年も神戸は
もとに戻らないだろうとその時は思っていました。
電車も高速道路も全部潰れてしまっていたものですから。
地震は前もって台風の様に準備をすることができないので
ほんと怖いです。
少しの揺れでも体が硬直してしまいます。
神戸でも場所によって被害の状況が違っていました。
私達がいたところは幸い、火事もなく、建物が全壊してしまったところも
ありませんでした。もちろん家の中はガラスや食器が割れて大変なことになっていました。
寒い朝で雪が舞っていました。ご近所どおし声をかけあって
ベランダ超しにお隣はお水をくださいました。
余震もずっと続いていました。
幸い我が家はおでんをたいていたので食べるものには困りませんでした。
まずは家族、親戚、友達、知り合いと声をかけてお互いできる手伝いを
しました。
今また、あのような地震が起きたら?って思いますが、怖さが先にたっちゃいそうです。
コメントを送る。