運命と 「 死 」
2019/12/29
生まれた者は、死ぬのが運命
出会った者は、別れるのが運命
人も動物も、無より出て 無に帰る

だが、無を恐れる事はない
無は生命を生み出し、生命を飲み込む
無は慈悲であり、慈愛であり
母の懐の様に、温かいものである

生きとし生ける者、全てが
いずれ無に帰するものであるから
愛する者を失った悲しみに囚われ過ぎるのは
愚かな事である

全てが無であればこそ
共に過ごした日々の喜びと輝きを
ただ大切にすれば良い
そうすれば、愛する者と永遠に
共に生きている事になる

以上は、とある本からの引用です
捉え方は人それぞれでしょうし
例え、頭で理解出来ても
心が伴わない事も多々あるでしょうが
ケイチーパパは、少し気が楽になりました

また、「 死 」 は 二度やって来るという話 …

一度目の死は、生命活動が停止した時
何人たりとも避けられない、肉体の死 …

そして、二度目の死は
人々の記憶から忘れ去られた時
これが、本当の意味での 「 死 」 …

例えば、ケイチーパパが好きな
戦国武将、武田信玄は
とうの昔に肉体は滅びていても
450年以上も後の、今の時代の人々に
その功績や人となりが語り継がれているわけで
そういう意味では信玄は
今も生き続けている …

生まれた者は、死ぬのが運命である以上
ケイチーさんの肉体の死 ( 一度目の死 ) は
誰にも、止めようがありません …

でも、二度目の死は
このケイチーブログが存在し
多くの方々に見て頂ける機会が続く以上
防げるのではないのだろうか ?
最近、そんな風に思います

そういう意味では
ブログやってて良かったなと
今更ながら、しみじみと思う
年の瀬の、ケイチーパパなのでした ☆

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今後もずっと!!
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