敗者が語る真実
2016/01/31
いよいよ始まった、2016大河ドラマ 「 真田丸 」


その記念すべき第1話の、影の主役とも言うべき武将が
真田家が代々仕える甲斐の戦国大名、武田勝頼 …

偉大なる父信玄の死後、その跡を継ぎ9年
このドラマは、その武田家が滅び行くシーンから始まります …

名将の誉れ高く、戦国最強の武将とも言われる父信玄 に比べ
その子勝頼は、名門武田家を滅ぼした愚かな後継者との見方が根強く
従来ドラマで取り上げられる事自体、非常に稀な存在でした

しかし、武田が滅んだ最大の原因は勝頼ではなく信玄にあった
と思っているケイチーパパにとって、その武田の滅び行く様子を
克明に描写した今回のこの第1話は、非常に見ごたえのあるものでした

その卓越した内政・外交・軍略手腕で、甲斐1国の守護大名から
甲斐・信濃・駿河・東遠江・西上野・北三河・東飛騨等々
計120万石もの太守に上り詰めた、 稀代の名将武田信玄 …

その信玄には嫡男太郎義信がおり、跡目はその義信が継ぐ筈でした
そのため 四男だった四郎勝頼 には、信玄自身が攻め滅ぼした
信濃諏訪家の名跡を継がせ、名も 「 諏訪四郎勝頼 」 として
武田宗家とは離れ、一武将としての立場しか与えられていませんでした

ところが信玄がこの世を去る6年前、その義信が廃嫡され世を去ります
同盟国である駿河侵攻を巡り父信玄と対立、謀反を企てたからです
突如、後継者である嫡男を失った信玄 …

しかし次男は盲目で仏門に入り、三男は夭折して既にこの世になし …
そこで白羽の矢が立ったのが、四男の四郎勝頼でした
慌てて諏訪姓から武田姓に戻し、名を 武田四郎勝頼 と改め
信玄の後継者の道を歩むことに … が、ここで問題が …

名門武田の家臣団は元来気位が高く、それを信玄が抜群のカリスマ性で
上手くコントロールすることで、戦国随一の統率力を誇って来ました
その家臣団に、四男坊かつ諏訪家の養子に出ていた勝頼 を
偉大すぎる信玄の後継者として認めさせるためには
まだまだ,より多くの時間が必要 …

しかし、自らの宿病である労咳 ( 肺結核もしくは胃癌 ) を自覚した信玄は
残された余命を、勝頼が継ぎやすくするための環境作りには使わず
京の都へ上洛するという自らの野望 のために使い
さらなる領土拡大路線を歩みます

結果、遠州三方ヶ原の戦いにおいて、織田徳川連合軍を撃破したものの
その後の上洛途上で病に倒れ、甲斐に帰還することなく、53年の生涯を閉じます
後の家中に、多くの課題を残したまま …

その信玄の死から9年後が、この真田丸で描かれている世界です
勝頼の従弟である木曽義昌 ( 妻は信玄の娘 ) の
織田信長への寝返り、領内手引きに端を発し
同じく信玄の娘を妻に、信玄の姉を母に持つ
武田一門衆筆頭の穴山梅雪 の、徳川家康へ寝返り …

さらには、信玄の弟であり勝頼の叔父である武田信廉の敵前逃亡 …
そして最後に頼った 重臣小山田信茂 による
逃避行の末の、主君追い返しの裏切り …

「 人は城・人は石垣・人は堀 」
かつて鉄の結束を誇った名門武田家の、見るも無残な人間雪崩現象 …
そこには、偉大な信玄の言う事は聞けても、信玄より劣る四男の事などという
家臣団に根強く残る、勝頼軽視の土壌 が大きく影響 …

家臣を家臣として、自らの思うがままに動かせない …
その様な状況下、西から織田、南から徳川、東から北条
三方からの同時侵攻を受けた勝頼 …

偉大な父から受け継いだ、最も頼るべき一族家臣に裏切られ
その心中、如何ばかりのものだったのか …

思うに、人の本質を見抜く名人である信玄であれば
将たる勝頼の資質が、己より劣る事は分っていたはず …
( そもそも勝頼に、名将信玄以上を求める事自体が酷な話 )

信玄が己の野望を捨て、もう少し勝頼のための地盤作りをしてくれていたら …
もしくは信玄自身があと3年、生き永らえていたら …
ここまで悲劇的な最期を迎えずに済んだのではないか ?

その野望深き故に領土拡大を成し、その野望深き故に後継手順を誤る …
名門武田が栄えたのも滅んだのも、信玄自身の野望ゆえ …
そう思えてならない、ケイチーパパです

武田が滅んだのは、跡を継いだ勝頼が無能だったから …
そう考え結論付けるのは至極簡単です
でも、勝者でなく敗者の側に立って深く掘り下げれば
また違った真実が浮かび上がってくる …
それが、歴史の面白いところですね ♪

悲運の武将、武田勝頼 …
その敗者の苦悩にスポットライトを当てる、三谷幸喜作品 …
今年の大河ドラマは面白そうですよ ♪

以上、歴史オタクの自己満ウンチクブログでした (*´~`*)

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